マジンガー&ゲッター(1972-75) ダイナミックプロ+東映動画


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001 2017/01/19(木) 23:28:34 ID:nk3OQSHxqo
マジンガーZ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B8%E3%83%...
放送期間:1972年(昭和47年)12月3日から1974年(昭和49年)9月1日。
放送回数:全92話
放送時間:毎週日曜日19時 - 19時30分
放送局:フジテレビ系列
制作:東映動画、旭通信社

https://www.youtube.com/watch?v=opt3S11yaQg

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002 2017/01/19(木) 23:33:07 ID:nk3OQSHxqo
[YouTubeで再生]
ゲッターロボ
1974年(昭和49年)4月4日から1975年(昭和50年)5月8日まで
フジテレビ系で毎週木曜日19時00分 - 19時30分に全51話が放送
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%83%E3%82%...

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003 2017/01/19(木) 23:35:24 ID:nk3OQSHxqo
[YouTubeで再生]
グレートマジンガー
1974年(昭和49年)9月8日から1975年(昭和50年)9月28日まで
フジテレビ系列で毎週日曜日19時 - 19時30分に全56話が放送
本作は『マジンガーZ』の続編となっており、「マジンガー」シリーズの第2作にあたる。
グレートマジンガーは『マジンガーZ』の最終回で初登場し、そのまま本作へと物語がつながっている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%...

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004 2017/01/19(木) 23:38:57 ID:nk3OQSHxqo
[YouTubeで再生]
ゲッターロボG
1975年(昭和50年)5月15日から1976年(昭和51年)3月25日まで
フジテレビ系で毎週木曜日19時00分 - 19時30分に全39話が放送
『ゲッターロボ』の直接の続編である
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%83%E3%82%...

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005 2017/01/19(木) 23:42:04 ID:nk3OQSHxqo
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UFOロボ グレンダイザー
1975年(昭和50年)10月5日から1977年(昭和52年)2月27日まで
フジテレビ系列で毎週日曜日19:00 - 19:30に全74話が放送
マジンガーの世界観を共有したシリーズの第3作。
https://ja.wikipedia.org/wiki/UFO%E3%83%AD%E3%83%9C_%E3...

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007 2017/01/19(木) 23:54:22 ID:fTVoBpoL42
当時幼心にも おちゃらけた兜光司がどうしても好きになれんかったわ
剣鉄也の方がヒーローとしてはしっくりきた

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008 2017/01/20(金) 00:40:28 ID:5x.VnS.kLo
[YouTubeで再生]
(鋼鉄ジーグ)
1975年(昭和50年)10月5日から1976年(昭和51年)8月29日まで、
NET(後のテレビ朝日)系で毎週日曜日18時00分から18時25分に全46話が放送
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8B%BC%E9%89%84%E3%82%...

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009 2017/01/20(金) 04:16:00 ID:cIANW4D53c
鋼鉄ジーグは磁石とパチンコ玉みたいなので関節がくっつく玩具持ってたわ。
これらのシリーズは完全に子供向けだね。ガンダムダグラムみたいなSFではないので改めて見直したいとは思わない。

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010 2017/01/20(金) 04:44:07 ID:2JpG8T1XIc
平成版も入れてあげて
チェンジ真・ゲッターロボ 全13回(その後を描いた新型ゲッターおっさん竜馬隼人弁慶
ネオ・ゲッターロボvs真・ゲッターロボ 全4回(敷島&隼人による號ではないプラズマ動力のネオゲッター
新ゲッターロボ 全13回(空手家時代の竜馬、学生運動過激派リーダー隼人の頃から始まる

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011 2017/01/20(金) 07:20:09 ID:EY0l/w8Deo
マジンガーからグレートへの繋ぎが痺れた。

いまだ好きでたまらない。

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012 2017/01/20(金) 11:06:31 ID:5x.VnS.kLo
東映まんがまつりで上映されたクロスオーバー作品群

マジンガーZ対デビルマン
 1973年7月18日〜 本作公開時点では終了していたTV版『デビルマン』らがゲスト出演する形となっている
マジンガーZ対暗黒大将軍
 1974年7月25日〜 次作『グレートマジンガー』が登場しており、『マジンガーZ』のTV版最終回を先取りした展開
グレートマジンガー対ゲッターロボ
 1975年3月21日〜 
グレートマジンガー対ゲッターロボG 空中大激突
 1975年7月26日〜 ゲッターロボ→Gの交替劇とグレートブースターが登場
宇宙円盤大戦争
 1975年7月26日〜 グレンダイザーTV放映3か月前のパイロット版 
UFOロボ グレンダイザー対グレートマジンガー
 1976年3月20日〜 グレートマジンガーのキャラクターは登場しない
グレンダイザー ゲッターロボG グレートマジンガー 決戦! 大海獣
 1976年7月25日〜 最終作で総動員させるつもりだったが、鋼鉄ジーグは放送局の相異もあり実現しなかった

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013 2017/01/20(金) 22:26:03 ID:5x.VnS.kLo
>子供向け
そもそも当時アニメはそういうもので
手塚治虫のアニメラマが失敗して虫プロ倒産、で西崎義展のヤマトや富野喜幸のガンダムが生まれたんだし・・・

>平成版
板タイトルに背くと・・・

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014 2017/01/20(金) 22:30:38 ID:SLK5qJerEw
>>11
あのボロボロにされたマジンガーに影響されたのか
お絵かきすればやられたロボットの絵を描いたり
粘土でロボットっぽい物作っておもちゃの剣ぶっさしたり
あぶない子に育ってたわ。

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015 2017/01/21(土) 12:58:41 ID:bd.x9tXG2E
[YouTubeで再生]
マジンガーZ対暗黒大将軍(プレビュー)
https://www.youtube.com/watch?v=MExQPByc9p...

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016 2017/01/21(土) 13:04:30 ID:bd.x9tXG2E
[YouTubeで再生]
マジンガーZ最終話

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017 2017/01/21(土) 13:15:39 ID:bd.x9tXG2E
[YouTubeで再生]
>>15-16の脚本で
マジンガーZ 32話(初めて空飛ぶ話)
くらいの作画&演出だったらネ申作品だった・・・

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018 2017/02/02(木) 00:09:24 ID:f63U1JmBjk
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業績が落ち込んでいた萬代が1971年に子会社のポピーを設立
変身ベルト が大ヒットし380万個を売る
1973年、ポピーの専務・杉浦幸昌の誘いで村上 克司がポピーに入社
以後キャラクター玩具を担い東映と関係を深めて行きキャラクタービジネスを主軸としたマーチャンダイジングを推進していった

初年度の1972年2月期には12億5000万円だった売上は、
1976年2月期には146億円を突破、親会社のバンダイのみならず、トミーをも抜き、わずか5年で玩具業界トップに立つ

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019 2017/02/05(日) 01:33:41 ID:a7vRBZ65c6
『テレビランド』は、1973年2月から1997年1月まで刊行していた児童向けテレビ番組雑誌
企画が東映株式会社、発行元を黒崎出版として創刊された。
東映の飯島敬が初代編集長を務めていたが、雑誌のノウハウを持っていなかった黒崎出版は本誌を持て余し、そのうえオイルショックの影響で経営困難に陥ったため
東映は1973年11月号から、黒崎出版の編集スタッフごと全てを徳間書店に移して刊行した。
これは岡田茂東映社長と徳間康快 徳間書店社長が二人で銀座のクラブで決めたという。
徳間書店としては『週刊アサヒ芸能』、『問題小説』に次ぐ定期刊行物。
競合誌は、講談社の『テレビマガジン』、秋田書店の『冒険王(1984年まで)』、1976年からは小学館の『てれびくん』も加わる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%...
1970年代後半には、『宇宙戦艦ヤマト』特集をきっかけに増刊として『ロマンアルバム』シリーズを出版。
いずれも好セールスを記録し、アニメ雑誌『アニメージュ』の創刊に多大な貢献をした。

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020 2017/02/13(月) 21:47:32 ID:k78BORVZmQ
おっさんどもを童心に返らせる
マジンガーもいまだとこーゆー感じ

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021 2017/02/14(火) 00:02:23 ID:yDTLflzoQs
擬人化ひねり具合はなかなか秀逸だったが
フルボッコだけのオチが残念・・・( ^ω^)

あといまいち萌えない娘はツボった

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023 2017/02/27(月) 19:26:43 ID:GYnSMfdCyQ
マジンガーZの最終回は無いよな。
あれだけ信じて応援してたマジンガーZがボロボロにやられて、
そこにグレートマジンガー登場で機械獣が倒されていく。
結果的に兜甲児は助かって次シリーズに繋がるわけだけど…

なんだかなあ〜

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024 2017/03/12(日) 15:56:19 ID:4ao1DOy21U
ポピニカ&超合金 

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025 2017/03/12(日) 15:58:57 ID:4ao1DOy21U
ジャンボマシンダー

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026 2017/03/26(日) 09:49:00 ID:8eoN417jFM
ホバーパイルダーの未組み立てのプラもを持ってるが売れるだろうか?
箱には300円と当時の値段が書いてあるが。

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027 2017/05/08(月) 19:53:58 ID:6NQmzhgy0A
026さん 値札貼ってあると厳しいかも、オークションで8,000円〜10,000円
     ぐらい出品してみては   テレビマガジン

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028 2017/07/22(土) 11:07:11 ID:CvaBHU3fwU
ほなやめた
適当に作ってみるわ
付属の接着剤使えるだろか?

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029 2018/03/27(火) 16:24:37 ID:1T0TfAAc5Q
030 2018/03/27(火) 16:28:33 ID:1T0TfAAc5Q
031 2018/09/03(月) 01:27:28 ID:QzTiurBSHQ
しかし凄まじいパワー;

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032 2022/09/09(金) 07:25:03 ID:.9CtL/c.bU
[YouTubeで再生]
1975年
7月26日 宇宙円盤大戦争
9月28日グレートマジンガー最終回
10月 5日からUFOロボ グレンダイザー

何でそうなったのかが詳しく知りたいな
http://bbs147.meiwasuisan.com/animekaikos/1593269182/00...

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033 2022/09/09(金) 08:03:15 ID:.9CtL/c.bU
>UFOロボなどの円盤類は初期のコンセプトデザインを担当した小林檀のデザインがベースとなっており、ガッタイガーやその他のメインメカも美術設定の辻忠直によるデザイン
小林檀といえばガイキングのメカデザイナー、辻忠直といえば超人戦隊バラタック(ガ・キーンの後番組)のメカデザイナー

1976年
3月25日 ゲッターロボG最終回
4月 1日 大空魔竜ガイキング

8月29日 鋼鉄ジーグ最終回
9月 5日 マグネロボ ガ・キーン

1977年
2月27日 グレンダイザー最終回
3月 6日 惑星ロボ・ダンガードA http://bbs147.meiwasuisan.com/animekaikos/1550846701/l5...

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034 2022/09/09(金) 15:48:22 ID:.9CtL/c.bU
>>8 鋼鉄ジーグ
当時タカラは、本格タイアップ(バンダイの様に企画段階から参加する)の第一弾としてhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B0%E3%83%...
>磁石を使った合体ロボ「マグネモ」企画を講談社『テレビマガジン』編集部に持ち込んだところ、ダイナミック企画を紹介され・・・

当時タカラと言えばミクロマンhttp://bbs83.meiwasuisan.com/nostalgy/1464477089...
東映動画から 「超小型化するヒーロー」企画が手塚治虫に持ち込まれミクロイドZ→ミクロマン?
http://bbs52.meiwasuisan.com/anime/1562173553/01...

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035 2023/03/18(土) 04:56:48 ID:cC24F53qF.
睡眠時間を削って働いた『ゲッターロボ』のころ
――1972年に『デビルマン』と『マジンガーZ』が始まり、1973年に『ドロロンえん魔くん』と『キューティーハニー』、1974年に『ゲッターロボ』、さらに1975年に『鋼鉄ジーグ』と、当時の仕事量は殺人的ですね。
永井:『マジンガーZ』が高視聴率だったおかげで、次々と依頼が来ました。もうすごいですよね。今でも本当に信じられないです(笑)。どんどん連載が増えて、漫画の仕事も僕の負担も大きくなって、アシスタントもかなり多かった時期だと思いますが、アシスタントの人たちもかなりハードだったと思います。よくあんなことができたなぁ……。当時は「これはこれ、それはそれ」で頭を切り換えていたので、思い出すと、記憶がみんなバラバラになっていて時間軸がわからないんですよ。
――当時のころを描いた『激マン!』の中でも全然寝ていないという様子が描かれていました。
永井:そうですね。石森(章太郎/現・石ノ森章太郎)先生のところにいた頃から、漫画は寝ないでやる仕事みたいなことが、当たり前になっていたので、それはさほど苦ではなかったんですよ(笑)。アシスタントは、(疲れに)強い人と弱い人がいました。石川ちゃんは眠いのにはやや弱かったですね(笑)。
――そんな忙しい最中に『ゲッターロボ』の企画が立ち上がります。https://getterrobot-arc.com/author...

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036 2023/03/18(土) 04:59:24 ID:cC24F53qF.
>>35
永井:企画そのものは東映動画(現・東映アニメーション」)の有賀健プロデューサーとダイナミック企画の永井隆が話をしてスタートしました、彼(永井隆)は商売人(笑)だから、玩具の展開を見越して「主役は3体です!」と。それが有賀さんに好感触だった。それで「こんな企画をやるんだ」と説明を受けたのですが、「三機が合体変形して、それぞれが違う形になる」と聞いて「コイツは何を言ってるのかな?」と思いましたね(笑)。でも東映動画としては滅茶苦茶乗り気で、「すぐに番組になると思うので、是非やってほしい」と。そんな状態で『ゲッターロボ』はスタートしました。
――漫画は石川賢先生が担当することになります。
永井:アニメの企画がいけそうだとなってきたところで、「連載が決まらないと最終決定が出ません」という話が出てきました。これは『デビルマン』でも『マジンガーZ』でもそうだったので「またか……」と(苦笑)。当時まだ少年ジャンプで『マジンガーZ』を連載していたし、少年マガジンで『バイオレンスジャック』(73年7月22日号連載開始)、少年チャンピオンで『キューティ―ハニー』(73年10月1日号連載開始)をやっていて……。実際には少年サンデーの『ドロロンえん魔くん』(73年9月30日号連載開始)の連載とアニメが終わって『ゲッターロボ』になるんですが、いずれにせよ僕は『マジンガーZ』があるから連載は無理だろと。それで企画段階のデザインから石川(賢)ちゃんが入っているんだから、「石川ちゃんにやってもらうしかないよ」と隆に言って「それじゃ説得してみるよ」という話になったんですよ。

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037 2023/03/18(土) 05:01:41 ID:cC24F53qF.
>>36
――ゲッターロボのデザインはゲッター1が石川先生、ゲッター2とゲッター3が永井先生だそうですね。
永井:はい。ゲッター1はすぐできたんですが、石川ちゃんがそこから「あとは作れない」と。「1を作ったんだから全部作れよ」と言ったんですが、「作れない、作れない……」と延々やってる(笑)。なので「あとは付け足しみたいなものだから、こんなんでいいんだよ」ってその場でサラッと描きました。そうしたら石川ちゃんが「ええっ、早い~」と驚いてて(笑)。石川ちゃんは現実に上手く合体できるかどうかを真剣に考えちゃうんだけど、「アニメはウソが効くから、そんなの考えなくていいんだよ。合わなくても絵でゴマせるから大丈夫」と。
――そうして石川先生による『ゲッターロボ』がスタートします。
永井:石川ちゃんの場合は、僕に近い絵が描けるし、アクションシーンの演出をやるのが上手い。だから「ロボットアクションも(人間と)一緒だから。得意だからやれるよ」と言ってたんだけど、石川ちゃんは「人物設定が自分には向いていない」と言いだして……(笑)。もともとサッカー部のキャプテンという設定は決まっていましたし。だけど「サッカーなんて全然わからないし……」というんで、「好きなように変えてもいいから。主人公の名前とロボットが一緒だったら、あとは石川流でやってくれよ」と。少年サンデー編集部も石川ちゃんで描くというのは乗り気だったんですよ。『風魔孤太郎』を連載した実績がありましたから。だから石川ちゃんでいきたいというのもスムーズに決まったんですけど、本人が一番悩んでいた(笑)。

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038 2023/03/18(土) 05:08:46 ID:cC24F53qF.
>>37
――そもそも永井先生と石川先生の初対面はどのような感じだったのでしょうか。
永井:彼が僕の仕事場にやってきたんです。当時はボロアパートで仕事をしていたんですけれどアシスタントに蛭田君がいて、アルバイトのホシ君もいました。ただ蛭田君が厳しいものだからホシ君が音を上げて、自分の代わりになるヤツを連れてこようということで、知り合いだった石川ちゃんを連れてきたんです。
ただ石川ちゃんがきたとき、僕はネームをやるために外に出ていて。帰ってきたら蛭田君がそのことを教えてくれて「マンガを見てあげたけど、ちょっと使うのには無理がありますけどね」と言うんです。「でも原稿を一応見せてよ」と言ったら、たしかに絵は滅茶苦茶粗かった。でもャラクターがとにかくよく動いていて、とにかく面白味があって個性もあるなと。「これはすぐに伸びると思うから入れる」と蛭田君に言ったら「えぇー」と(笑)
――永井先生の現場に入ってみて石川先生はいかがでしたか。
永井:背景は下手だった。でも人物がいい。『馬子っこきん太』で山賊のモブを描いてもらったらこれがうまい。それで人物のほうに回ってもらうことになって。その後『あばしり一家』(69年8月10日号連載開始)の連載が始まる時は、「その他大勢は石川賢ちゃんに任せて共同でやる」と。それで『あばしり』が始まるんです。1回目から敵のヤクザみたいなのを沢山出して、それを石川ちゃんにやってもらいました。「これなら半分の労力で絵が描けるな」と(笑)。それで何とか連載することができました。

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039 2023/03/18(土) 05:11:22 ID:cC24F53qF.
>>38
――永井先生からみて、石川先生はどんな漫画家でしたか?
永井:器用だし、筆は速いし。キャラクターをいつも沢山描いてもらっていたせいか、モブシーンが滅茶苦茶得意になっちゃってましたね。わざわざ自分でもモブシーンを作って描いたりしていた。とにかくキャラが動いているのが好きで、アクションの演出も上手です。彼の才能はつねに感じていました。
――「これが石川賢の世界だ」と実感したのはいつ頃でしょうか?
永井:やっぱり山田風太郎の『魔界転生』(1987年)をやった時じゃないでしょうか。あのあたりでは、かなり自分流のものができあがっていたんじゃないかなぁ。描き溜めしている絵も毎回すごく良いので「これは良い作品になるな」と思って、ときどき「どうなったんだろう」と見に行っていました。
――石川先生が『ゲッターロボ』を描いたことで、どんな化学反応が起きたと思いますか?
永井:あれによって石川賢がマンガ家として、編集者など出版関係の人たちにしっかりと認識されたと思います。それまでは連載や読切をやったとしていても、そこまでマンガ家として確立できたという感じではありませんでした。『ゲッター』でテレビに名前も載りましたし、各出版社も「石川賢という、永井豪とは別のマンガ家がいるんだ」としっかり認識したのだと思います。ダイナミックのマネージャーとしても売りやすくて、セールスがしやすくなったでしょうね。

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040 2023/03/18(土) 05:13:50 ID:cC24F53qF.
>>39
――石川先生と最も密に仕事をされていたのは『ゲッターロボ』の頃なのでしょうか。
永井:いや、もう本当にずっと仕事をしていました、助けたり助けられたり。しょっちゅう飲みにったり、ゴルフに行ったり、帰りに送ってもらったり……。突然亡くなるまで、もう本当にずっと一緒でした。
――『ゲッターロボ』『ゲッターロボG』と続いて、その後、『ゲッターロボ號』(1991年2月連載開始)が改めて始まります。
永井:「『ゲッター』は石川ちゃん」みたいな感じで、基本はずっとお任せでした。『ゲッターロボ號』の時はキャラクター原案だけやりましたが、『ゲッター』のマンガは石川ちゃんにどんどん進めてもらえればいいやと。彼もいろいろな新しい設定を作っていって、敵も石川流にどんどん面白いものを考えてくれて良かったと思います。
――『ゲッターロボアーク』は連載中に読まれていましたか?
永井:通して読むというよりは原稿で見ることが多かったかなぁ。雑誌でちょっと見るけど、それも飛び飛びなんで、単行本になってから一応きちんと読んだりしました。そこで「こんな展開だったんだ」と初めてわかったり(笑)。例えばゲッター線というアイデアも最初は僕だけれど、その後の発展のさせ方は、石川賢のオリジナルを発揮してくれて。僕は「どんどんすごいことになっているな」と傍観者として見ていました(笑)。どんどん世界を広げていくれたのでいろいろなキャラクターが未だに生きてくれていることになったのは本当にありがたいです。

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041 2023/07/05(水) 20:46:29 ID:5T9d/JQ00c
1975年・冒険王ふろく・テレビコミック ゲッターロボG

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